人間の知識よりも経験が勝る現実の社会【社会のへぇ~】

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何かの説明を他人から受けた時「よくわかんないな~・・・」と、言われてもよく分からない説明と、簡潔で「はぁ~!なるほどな~!」と同じことなのに理解できる・出来ないの説明を聞かされたことがあると思います。

これはどう事なんでしょうか?

 

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人間の理解の範囲

 

人間の理解の範囲はその人の「知識と経験」そして「想像力」だと言われています。

 

分かりやすく説明すると「野球」と言うと「9人で」「攻撃は順番」「バットでボールを打つ」など色々想像できますが、それは「野球の知識や経験」が頭の中に「記憶」として刻まれているからです。

「野球」を知らない人に「グローブ傷んだから買いに行くんだ」と言われても「何を買いに行くんだ??」と言う事になってしまいます。

 

説明を聞こうと思うときは、自分にその知識が無いので説明してもらおうと思っている時です。

そんな時の説明で理解感が変わるのはなんでなんでしょう?

 

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理解できる説明と理解できない説明?

 

説明を受けて納得する、説明を受けてもよくわからない。

同じ説明なのに何が違うんでしょう?

 

私がスマホが故障したので新しく買い替えしようと思って携帯ショップへ行った時の出来事です。

今の携帯(スマホ)は高性能で色んな機能が付きまくっていますww

どれがいいのかと聞いて機種選びをしようと店員さんに説明してもらうと「よくわかりません・・・」

どうしようか迷っているとその店員さんの上司らしく方が。

「見ていいなと思った機種はありますか」

何個か良いなと思っていたので

私「これかこれですかね」

上司の店員さん「どんな使い方が多いですか」

その後気に入ったスマホのうち、自分に合った機種を勧められこのまま機種変更手続きへ

帰ってから考えたのが「なんであの人の説明は理解できたんだろう」と思ってしまった。

思うに、経験がないと単にマニュアルを覚えて説明している様に思え、説明する人に合わせてかみ砕いた説明が分かりやすかったのかと思った。

この違いは「経験の違い」とひとくくりにしていいんだろうか?

 

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違いは説明を受ける人による

実は私も客商売の部類に入る仕事をしていました。

携帯ショップと同じで、若い子がお年を召した方に説明していましたが、どうしたらいいか困った表情をしていたので、「変わるよ」と言って説明をかわりました。

壊れて修理に来たと言いますが、交換する部品が多く説明も理解できることが少ないので「こんなに部品を交換する物なのか?」と「ぼったくり??」と半信半疑だったらしい。

そこで部品を見せながら、一つ一つ説明すると「なるほどな~!じゃ減って交換しなきゃいけない部品と、このままじゃ壊れるかもしれない部品を一緒に交換した方が安くて安心なんだな~!じゃおねがいするわ~」

 

何が違ったのか思い出してみると、若い子の説明と違い「専門用語は使ってない」のです。

相手の目線にたって「これなら理解してもらえるかな」と考えながら一つずつ説明していった結果なんだと思いました。

客商売以外でも、友達の説明がよくわからん?と思うときもあると思いますが、なぜそうなってしまうのか?

それは人間の「俺の方すごい、俺はこんなに詳しい」と言った自慢やエゴで、自分目線で説明するからだと思ってしまいました。

人間の理解や経験は人それぞれです。

自分は分っているからと言っても、相手は理解していない事が多いのです。

それを自然に行える人は、知識と経験をかねそなていると思います。

 

説明する人がそんな人で多くなれば住みやすい社会に一歩近づくと思ってしまいました。

 

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