知床 観光船 遭難事故に見える「無くならない人間の怠慢」とは?

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世界はロシアのウクライナ侵攻でざわついているが、コロナで生活が規制されている事も品類のストレスと言う事では大きな変化になっています。

国内でのコロナ過が収束(なのか?)している事で規制が緩和に向かっている中で起こった大きな事故が知床の観光船 遭難事故!

原因は何だったのでしょう?

 

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どんな事故でも人間の思考の低さと危機回避の低下

どんな事故でも「人間」がかかわっていないものはありません。

整備を怠った、作った部品が不良品だった、運転・判断を間違った等、どんな事件事故には必ず「人の手、人の判断」が関係してきます。

人間は楽する、欲を満たすために色々な道具を使用しますが、メリットの裏には必ずデメリットが潜んでいると言う事を忘れてしまっています。

今回の知床での観光船遭難はその結果と言う事に見えてしまいます。

そんな中で「この海の状況で出た船が悪い、船長が悪い、会社が悪い」と自身の反省を他に押し付けている現状は少し考えてしまいます。

 

被害にあった全員が船長やその会社に脅されてその船に乗車したのでしょうか?

来いと言われてその場に行ったのでしょうか?

 

そこには個人の判断で行動していますよね。

船長さんは「大丈夫運行します」と言ったのかもしれませんが、その言葉を納得して乗船したと考えると、自己責任の割合も大きくなってきます。

観光や公共の乗り物は「ちゃんと点検しているから大丈夫だろう」と思って使用していると思いますが、それは無いです。

バスでも飛行機でも、遊園地の遊具までも実際事故は起こっていますから

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100%安全は世の中には存在しない

人の手で作られた物は壊れます。

人の判断は不正確です。

 

そう考えると世の中には100%安全な物、移動手段は無いと言う事です。

今回遭難した観光船に乗らなければ命を落とすと言う最悪な結果にならなかったのです。

観光船の人を信じて、折角来たのだから、することがあるので、何らかの理由があって船上した人たちです。

天気が良くないのを見て「船酔いするから今回はパス」と判断した人も中にはいるかもしれません。

全ては「自己判断の結果」なんだと思います。

 

事故や事件に合う事は無い

そう思っている人が多いと思いますが、それこそありません。

歩いていても車が突っ込んでくる時代です。

電車内で刃物を持っている人が暴れる時代です。

音楽を聴きながら、スマホをみているなんて、無防備の極みだと思ってしまいます。

ながらスマホで運転など、少し考えたら無謀だと判ります。

そんな無頓着な人間が多い世の中ですが、人間の能力・性能はそんなに高くは無いと理解していない人が多いのが現実です。

ではどうしたら守れるのでしょうか?

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安全と危険は背中合わせ

危機管理を持つことが、自分を守ることになります。

何かあったら

そう考えて行動する事が最善だと思います。

知床の観光船 遭難事故でも「ライフジャケットの着用義務」は無かったと言われていますが、乗ってた人は「船が沈んでも泳いで行ける」と考えていたんでしょうか?

海を泳いで知床を見に行く事は人間には無理です。

その代わりに観光船と言う人間には出来ない力を頼って見に行けます。

物は壊れます。観光船の力でそこまで行った時、突然無くなったらどうします?

自力で戻ってこれるなら納得しますが、出来る人は少ないでしょう・・・

最悪の事を考えて行動するなら「ライフジャケットの装着」を自己判断で装備するべきだったと思います。

子供を同伴するなら、「何かあっても助けられる」と言う準備や予防策が必要だと思ってしまいます。

「大丈夫だと言っていたから」と言うでしょうけど、それを言っているのは知らない「あかの他人です」

車の教習所で教わる事の中に「かもしれない運転」と言う内容の授業があります。

「かもしれない」は運転だけではなく生活する上で必ず必要になってくる行動なのですが、それを理解して行動している人は少ないのが現状です。

歩道を歩いているから安全だろう、横断歩道を青で渡っているから大丈夫だろう、公共交通機関だから事故は無いだろう。

都合のいい「だろう」になっている現在ですが、そんな都合がいい「だろう」は世の中にはないと考えて生活したほうが良いと思います。

しかし、世の中は「他人任せの命」に安全があるように先導しています。

今後の社会はどうなっていくんでしょう?

 

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